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オーストラリア

もう30年余り前の話です。会社に入ってすぐくらいに、海外旅行が安く行けるという勧誘があって、呼び出された私はいろいろ説明されて、いい話だと思い、誰に相談することもなく会員になりました。毎月1000円の会費を支払っていれば、その会社から送られてくる海外旅行の激安プランに友達も同じ値段で一緒に行けるというのです。おまけに英会話の教材もずっと送られてきました。結構内容は良い物でしたので、今でも家に置いてあります。教科書とカセットテープで、全部で20巻か30巻、それぞれのハードケースにテープは1~8個入っています。しっかり勉強したら十分ペラペラになりそうな教材です。私はところどころしか勉強しなかったので、未だに「ペラペラ」の「ぺ」ぐらいしかしゃべれませんが・・・

で、旅行のほう、いつになったら行けるかな、行けなかったら支払い損だと思っていましたが・・・
2年ほど経って、年末から正月始めにかけて、オーストラリア旅行が1週間ほどで26万円というプランが出ました。友達もOKしてくれて、従姉たちのいるメルボルンとシドニーに行っちゃおうってことになりました。


クリスマスの直後だったから安かったのかもしれません。シドニーで2~3泊して大晦日の夜中、オペラハウスのところで花火が非常に沢山上がりました。見たこともないようなきれいな花火もいっぱいありました。皆地べたに座ったり寝転んだり、立ったままの人も沢山いましたが、私たちは立って見てたかな。
お正月のカウントダウンですから、皆大盛り上がり。私たちは終わってからホテルに戻って寝ましたが、多分、皆さん夜通しパーティしたりするんだろうなって思ってました。
シドニーでは街を散策したり、美術館や動物園に行ったり、クルーザーで遊覧したりと面白かったです。
海から見たオペラハウス クルージング


お正月はほとんどお店が閉まってる感じ。シドニーからメルボルンに行ったとき、空港で同行者の方たち(多分10人くらいはいたかな)と分かれて、迎えに来てくれた従姉の車で従姉の家に行き、数日間泊めてもらうことになりました。
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テーマ : 徒然なるままに…
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昭和32年頃の写真

私とじょーじジョージと私

譲二ちゃんと私の写真が実家にあったので写メ撮ってきました。

昭和31~32年くらいかな。

ひろえ

私何歳かよくわからないです。多分3歳から5歳くらい?
それにしても、ふてくされた顔してますな~(笑)

ケンさんの話

さて、無事ケンさんと教会で結婚式をあげた美智子おばちゃん。
結婚式の写真があったらアップしたいところですが・・・出てきたら絶対アップしますね。

おばちゃん、その頃から写真が好きだったのかな。家の写真や家族の写真をたくさん送ってきてくれました。
家は横長の平屋。庭にはプール。隣の家まで100mくらいあって、その間に畑が出来そうな広い土地がありました。
車はベンツが2台。一人一台は必ず必要とのこと。メルボルンの郊外に住んでいたので、便利は悪いかも?
車で買出しに行くからどってことないよって感じでした。

私が中学や高校生のときに、ケンさんが商用でアジア、日本を訪問するとき、おばちゃんも一緒でした。
泊まるのは当時はプラザホテルかロイヤルホテルの一番高い部屋だったみたいで、値段を聞いて超びっくり。
羨ましかったですね~。そんな大金持ちに嫁に行くなんて、すごい福運。どんないいことしたらそうなれるのって感じですね。ヤーさんとの同棲から一挙に何もかも変わった人生です。

中学から英語が好きだった私は、Maryというケンさんの前妻さんとの娘さんを紹介してもらいペンフレンドになりました。年下のMaryとの間にすごい文化の違いを感じながら手紙を書いていました。
何ていうか、今の日本でもギャルと言われる人達のようなイメージです。服装とかアクセサリーとかの話だったり、私が思ってたのとはちょっと違う世界。だから面白かったですけどね。英語が達筆すぎて(?)読みづらかったりして、意味もわからないことが多く、辞書を引いても辞書が役に立たないことも多かったです。
段々疎遠になり自然消滅、いつまで文通してたか覚えてないです。



一度おばちゃんがついて来なくて、同じ会社で働く息子さんを連れて来られたことがありました。
私の実家に来ていただき、ご馳走しました。その時は和室にダイニングのテーブルを持って行って座ったことを覚えています。和洋折衷!靴は玄関で脱いでもらいましたが!(笑)

実家は木造2階建ての6軒長屋。奥行きがありすぎて(笑)、外が見えない閉鎖的な家。(外が見えるのは一番奥の部屋の窓とトイレの窓だけ・・・おそらく日本の住宅にびっくりされたんじゃないかな。オーストラリアでは一軒もないと思うな~。

そういう珍しい日本家屋を見るのがよかったみたいで、喜んで帰って行かれました。
実際には呆れておられたかもしれないですが・・・(笑)


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いとこの話

さて、おばちゃんの話の続きです。

ちょっと遡りますが、私がまだ小学校3年くらいまでの話。
当時堺市に公団に住んでいたおばちゃんは譲二を浜寺の水泳学校に入れていました。
勉強は得意ではなかったという譲二は水泳なら人よりうまくなれると信じて、毎年通っていました。
気がついたらたて泳ぎもできるとか、遠泳もすごくできるとか言ってたような。
私と母もよく浜寺のプールに泳ぎに行きましたが、帰りにおばちゃんのうちに寄らせてもらうことも多かったです。

おばちゃんは結構かっこいい車に乗っていました。当時は女の人が車を運転することは珍しかったです。車でプールまで迎えに来てくれたこともありました。

メトロというところでナンバーワンだと言っていましたが、私には何のことか想像のつかない話でした。
きれいなネックレスや指輪もいっぱい持っていましたが、それをもらったのはおばちゃんがいなくなる前でした。

メトロで外国人のお客さんが来ると、英語のできるおばちゃんが呼ばれるので、その時出会ったのがオーストラリア人のケンさんでした。貿易商社の社長をしていたので、毎年日本の商品を仕入れに来て、その度におばちゃんと会ってたみたいですね。何年掛かったかは知らないけど、譲二が中学1年くらいのときにケンさんが結婚してくれるというので、オーストラリアに譲二を連れて行きました。

ケンさんはおばちゃんより一回り年上でした。オーストラリアに行ったのがまだ40才前だったので、おばちゃんとの間に赤ちゃんが生まれました。おばちゃんにしたら、譲二のあと13~4年は間が開いてたから大変だったと思うんだけど、とにかく強い人だと感心します。
ケンさん自身すでに4人か5人子供がいると聞いていましたが、奥さんが浪費家で家庭的ではなかったので、離婚が成立して、晴れておばちゃんと再婚したとのことでした。




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ペガサスママ

Author:ペガサスママ
大阪のおばちゃんです。
面白い話を思い出したらボチボチ書いていこうと思います。
昨日のことより子供の頃の話が鮮明だったりします(笑)

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