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父と職人さん

職人さんが沢山いたのは私が小学校2年くらいまでだったかな。

父は大の野球好きで、職人さんたちと1チーム作って、他の鞄屋さんとかと対抗試合をよくやっていました。
練習は桃ヶ池公園や白鷺公園でやってたと思います。
その頃、忘れもしない家の物干し台で飼っていた伝書鳩を、野球場に連れて行っては着いたことを知らせるのに鳩を放すのです。帰ってきた鳩を見て、無事着いたことが分かりました。

母が娘の教育上よくないからと、職人さんの住み込みをやめて、通うように変えていってくれました。母の判断は間違ってなかったと思います。少々手遅れなこともありました。
それは、私がかなり男言葉を使うようになってしまって、なかなか直せなかったこと。母親だって結構ガラの悪い言葉を平気で使ったりしてたくせに、小学校の女の子が男みたいに話すのはやはり駄目だと思ったのでしょう。今でも喧嘩したりすると河内弁が出ますけどね~(笑)未知やすえさんばりに怒鳴ったり、やろうと思えばできますけど・・・あ~コワかった!って自分で怖がったりしてね・・・(笑)

そういうわけで、急に人が少なくなり、勉強もしっかりできる環境になって行きました。なんと言っても親子3人の平和な家庭が築かれたというのはすごいことでした。

手作りの鞄が段々廃れたのかもしれませんが、人手が段々減っていき、通いで3人は私が小学校の間はおられたように思います。たけさんとか、とみさん、とか呼ばれてた人をよく覚えています。

 その後、最後まで残った職人さんは福ちゃんご夫婦でした。父が借りたJRのガード下で、2階が工場で住まいはその下になっていました。

一度出て行かれたことがありました。多分、もっと給料がいいところから引き抜かれたかもしれませんが、数日後帰ってこられ、父に謝ってまたうちで働くことになります。出て行かれたとき、父もショックだったみたいでしたが、一人で鞄屋を続けるかどうか、悩んだようでした。その後、数年してやはり父はかばん屋を辞め、JRのガード下でコインランドリーをすることになります。

だから、私が赤ちゃんのときからうちで働いてくれていた福ちゃんは、辞めて他の鞄屋さんに勤めることになりました。私は福ちゃんのことかなり慕っていたので、非常に寂しかったです。
小さい頃、両親に叱られるといつも福ちゃんがかばってくれたものでした。家の一番奥にある作業場に締め出されて、泣いていたとき、福ちゃんがまず様子を見に来て、両親に一緒に謝って許してもらうっていうパターンで・・・なんかすごく昭和な感じがする話でしょ!(笑)虐待事件にならなくてよかったっていう事が度々ありましたね~(笑)

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面白い話を思い出したらボチボチ書いていこうと思います。
昨日のことより子供の頃の話が鮮明だったりします(笑)

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